与板の城
二つの与板城
本与板城・与板城(城山)じょうやま
上記二つの与板城の他にも城が存在した。
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| この城は地元の人でも知っている人は 少ない城跡です。二つの与板城よりは 本丸の場所が高くなっていて はっきりとしています。 |
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本与板城の本丸と与板城の本丸のあった場所
本与板城は建武年間(1334)に新田一族(源氏の一族)
籠沢入道(籠守沢入道)(こもりざわにゅうどう)
が最初といわれています。その後中条与次郎景宗・
室町時代には越後の守護・上杉家家老 飯沼氏が居城とした。
その後天文十五年 頃上杉謙信の重将直江景綱の居城となった。
信綱・兼続と三代にわたり使用された。また兼続は天正年間に新しく
二キロほど離れた場所に与板城(城山)を築いた。
別名陰城(本与板城)陽城(与板城)と言われている。
与板城はなぜ二つ必要になったのかもちろん守りを固めたこは
間違いないことで与板城下には日本でも有数の大河信濃川が
あり船の往来もたくさんあり現在でも与板のこのあたりが川幅も
広く川の中に現馬越島などのような大きな島が あり攻められやすい
地形で守るには二つの城が必要だったことともう一つは兼続の
権力が大きくなるにしたがって兼続を支える家臣の数が多くなり
本与板城だけでは手狭になり与板城を築いたとされる。
兼続は春日山城の直江家屋敷にいたが直江津から出雲崎
まで船を使って与板へは頻繁に来ていたと伝えられている。
まぼろしの城
当之浦城
與板(長岡市与板)
直江兼続の時代には与板城・本与板城・当之浦城の
三つが与板に 存在しています。
地元でも知る人の少ない城跡です。
残念ながら場所を知っている地元の方の案内がないと
本丸のあった場所に行くことは不可能です。
空壕の跡などその時代の地形を利用した
典型的な山城で 信濃川や馬越を一望
できる高台に本丸があります。

入り口に登山口の案内がありますが
登っていっても行き止まりになります。
城跡を知っている人の案内が必要です。
馬越側からも登ることができるそうですが
当之浦側の方が急な斜面がないので
上りやすいと 思います。

道なき道をひたすら登り続けます。

道として整備された所も一部ありますが
あとは道はありません。

登り続けると目の前に不自然な高台が見えてきます。
その高台が当之浦城の本丸跡です。
本丸のある高台はとても急で登るのはたいへんです。
与板史跡保存会の人たちによって碑が建てられています。