本与板城
もとよいたじょう
本与板城主は建武年間(1334)新田義顕(にったよしあき)の一族で
籠沢入道(籠守沢入道)(こもりざわにゅうどう) が最初と言われています。
新田義貞の子息義顕がこの時代越後国司となっていますが
新田義貞ではなかったかと言う説も一部でありますが
とにかく新田一族には間違いありません。
ちょうどこの時期に越後国弥彦神社に太刀を義貞が寄進しています。


道幅が狭いので走行には注意してください。

本与板城跡登り口
新田一族の衰退後 上杉憲顕(のりあき)一将中条与次郎景宗が居城とし
その後 越後の守護上杉家の家臣 飯沼氏が代々居城とした。

室町時代の後半には 上杉家と長尾家が対立 長尾為景(上杉謙信の父)と対立した
飯沼貞頼は永正11年戦いに敗れ飯沼氏は 滅亡した。

越後の国は長尾為景が実権をにぎり 天文(1540)には 為景の重臣
直江景綱(実綱)の居城となった。

直江家 景綱・信綱・兼續(かねつぐ)と3代にわたった。

天正年間に少し離れた場所に与板城を築き直江兼続が居城とした。

城跡への道路は右の細い道を登ります。