雲洞庵

景勝君も此寺に物学び玉ひしとぞ。

喜平次景勝と与六兼続は幼少のころ、二人はここで学問を学びました。その時の師は雲洞庵
第10世北高全祝大和尚や第13世通天存達大和尚でした。
通天禅師は長尾政景の兄で、景勝の伯父にあたる人でした。
兼続の兜の前立ての「愛」という文字は、この通天存達の教えからなると言われています。
また北高禅師は上杉謙信の大切な相談役でありました。そして謙信もまた景勝・兼続たちに多大な
影響力を残しています。良き指導者に恵まれた名将・智将はこうして生まれました。 


雲洞庵赤門
昔は藩主とか貴人の偉い人でなければ
赤門の扉は開けられなかったといいます。

(雲洞庵の土踏んだか)
赤門より本堂に至る参道この参道の敷石の下には、一石一字の法華経が埋められていて、
「雲洞庵にお参りに行ってきましたか」と「そこでの厳しい修行に耐えてきましたか」
そんな二つの意味が「雲洞庵の土踏んだか」 に込められているのだそうです。
またこの参道を踏みしめてお参りすると罪業を消し去り多くの幸せをもたらしてくれると言う
言い伝えがあります。そこから「雲洞庵の土踏んだか」と言う言葉が生まれたと言うことです。


直江兼続は禁制の札を掲げて 雲洞庵の保護をしました。
松杉を一本伐採せる者には罰金三両
雑木は一両
草は百疋
この札は雲洞庵に展示してあります。


北越雪譜に書かれている文を一部抜粋
「北越雪譜」は下記の北高禅師をクリック

佐渡へ遷幸(せんこう)のとき震筆なるべし門前に
直江山城守の制札あり、放火私伐(はうくわしばつ)を
禁(きん)ずるの文なり。

雲洞庵ご住職は 全てが名僧と言われた人たちです。
先住第四十五世無著石龍大和尚(新井石龍禅師)
石龍禅師の書はとても有名です。石龍先師より引継がれた
現第四十六世禅海勝龍大和尚(新井勝龍禅師)もまた
すばらしい方だと聞いております。ぜひ雲洞庵にお参りされ
雲洞庵の土を踏みに訪ねて見ては・・・いかがでしょう。
時空をこえた素敵な時間を体感てください。
皆さんの中で宗教や宗派がちがうからと言われる方も
おられると思いますが大きな心をもって中に入り見学しましょう。
音声案内がありますので ぜひボタンを押してください。

北高全祝和尚

所在地 新潟県南魚沼市雲洞660
交通 関越自動車道「塩沢石打」ICより車15分
JR上越線「塩沢」駅から車約10分
上越新幹線「越後湯沢」駅から車約30分
駐車場 駐車場がありますので駐車場の心配は無用です
開門
開門時間 夏期(4月20日―11月30日) 9時から15時半(閉門は16時)
冬期(12月1日―4月19日) 10時から15時(閉門は15時半)
お休み 毎週水曜日(冬期のみ第一火曜日、大雪による休日の場合あり)
拝観料 大人300円 小学生100円

縁起
今を去る千三百余年、ここ越後の山深き寒村に、一人の旅の尼僧さまが訪れ、山より
こんこんとわきいずる霊泉で沢山の人々を救い、庵をむすんですまわれました。
この尼僧さまこそ、藤原家の主藤原房前公の母君であらせられたのであります。
尼僧さま亡き後、養老元年(西暦717年)、薬師如来をたずさえられてこの地を訪れた
房前公は、山を金城山と名付け、母の菩提を弔うため、薬師如来を本尊とする金城山
雲洞庵を建立されたのであります。以来藤原家の尼僧院として律宗に属し、六百年間
に渡り栄えたのであります。以来現代に至るまで女人成仏の寺として、女の人の参拝
信仰がさかんに行われ、その規模により日本一の庵寺と言われるようになりました。
藤原房前公は父を不比等、祖父を鎌足と言い、藤原鎌足公は、中大兄皇子(天智天皇)
とともに曽我氏を滅ぼし大化改新を行い、藤原姓を賜って、藤原家を開かれたのであります。
その時この南魚沼地方が、藤原家の荘園として与えられたのです。そんな関係から、近在には
藤原家ゆかりの地名や、神社仏閣が存在しております。 又、現在に至るまで、房前公の母、
先A尼公の御墓は当庵に祭られ、遺品類が遺されています。
曹洞宗(禅宗)金城山 雲洞庵 より

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